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タイトルそのまんまですが、そんな感じの衛星活劇でございます
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 色々とごちゃごちゃしていて、本格的に整理しないとどうにもならないのが自分の現状。正直、どうすりゃいいのか、その指針がぶれかかっている。数年前は、割と活発だったけど、最近は、ぼんやりと遣る瀬無い空虚に包まれる…。停滞しているっていうのかなぁ…。このブログでも、片付けできる範囲で、片付けていきたい。

 

 思考の整理、といえば、よく、紙のノートに、考え方や感情、今までの道程と今後の思いなどを書き連ねる…。しかし、ちょっと前までは、ノートで整理ができない状態にまでなっていた。身体的な意味ではなく、精神的な葛藤が強すぎて、できなかった。。いろんな思いが錯綜しているのに、自分と向き合えない。ノートで自分と向き合うと、まだまだ何とかなるんじゃない?? と、今の自分の見地からすればそういえるんだけど… ごちゃごちゃしすぎて、どっから手をつけたらいいのか、分からない程までに不安定だったかもしれない。


 今は、それでも、自分は書き連ねざるを得ない、自分と向き合わないと、自分がばぐれてしまう…と、切実に思っているので、適当になってしまっても、そこに何かを刻む… すると、何かが見えてくる、何かしらのものに辿り着く… と思っている。実際、そういうことが多かった。



 さて、現状をお片付けしてみようかしら。まずは「表出欲求」…もっと、こう、展開した方がいいのかな。よくそう色んな人に言われてきた。私自身、自分のやってきたこと、自分がつくったものや、自分がまとめた考えなど、自分さえ満足できたらそれでいい、と思っている。元々、「自分はいい、と思っていても、相手はどう思うだろうか…??」とか気にする性分なので、そんなのでストレスになるんだったら、まず自分だけで満足できることをやろう、と思い始めた。…まぁ、それでも、元々、独りでこんこん、と自分の世界を創っていた。それゆえか、今ひとつ、言ってることが理解されにくかったり、受け入れてくれることが少なかったりもした。
 

 そんな私の性分を見かねて、「それの何が面白いのか…??」と言われたことがある。その子は、自分の作品が、他者に受け入れられてなんぼ、という考え方のようで、そうすることで、洗練されていくし、そこから他者に承認されることで、自分に自信も持てるようになる…、と言っていた。…うん、たしかに。ただ、自分の場合、他者に喜ばれる前に、自分の欲求と向き合う。まぁ、その子も、自分の欲求と向き合いながら、自己刷新してるだろう。自分の場合は、それに対し、他者への承認は、もちろん嬉しい。でも、そこばっかり見ていると、自分を見失いはしないだろうか…??という観念に捉われてしまう…。以前、それでしんどい思いをしたことがある。今のfacebookやlineで疲れている、という人を見ていると、それだけでこっちも重苦しいものが、頭に過る…。

 
 まぁ、DTMとかでも、わざわざ曲の出来を評価してもらうスレもたくさんあるし、「独りよがりは愚かだぞ」って言ってくれたのかもしれない。基本ができていないのに、出来た気になるな、と。まずは誰かに査定してもらいなさい、と…。

 それでも、自分の感受性の骨子みたいのを抜くことはできない。まぁ、基礎さえおさえておけば、問題ないのだけど…。

 音楽を例に出すと、コード理論とか、まだ分かっているのかいないのか、グレーゾーンなとこがある。「それでも、この気持ちや情景を、音で表現したいんだ!!」ってことで、何曲かつくったりしたことがある。もう一度、自分のやれる範囲で、その理論を頭に入れていく…。

 哲学だと、ニーチェの「超人」や、キルケゴールの「倫理的生き方」、ドゥルーズ&ガタリのスキゾ理論など、色々と頭に詰め込んでは、「こう生きてこそ、しっかり根を張っていきることだ!!!!」と、自分ではいうのだが、この理論をおさえる以前、案外、そのような生き方ができていて、自分も似たようなことを言ってた時期があった(後付けじゃないぞ!!) …が、色んな気持ちが葛藤して、ついつい感情のごちゃごちゃでその辺がうやむやになる日々を送ってしまう自分が、今はいる…。

 まぁ、簡単に言うと、「倫理的に生きることで、絶望やルサンチマンから抜け出して、超人になる」…てことかな。笑



 
 この世に、超人的で倫理的な生き方を実践できている人って、何人いるんでしょうな…。特に、この日本社会において…。

 何で、自分って、こんなにも精神的に脆いんだろうか…。呆


 …まぁ、いいや♪  



 

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 過去のブログの記事を詠んでみると、絶えず欲求不満気味で、行くところにたどり着けていない感が伝わってくる。それでも、精一杯、何かを伝えよう、という感じは、あるような、ないような…??

 まあ、今も、欲求不満であることには変わりはないが、「自我の芯」みたいなものは、ブログを書いていない頃に、掘り下げていったような気はする…。

 さて、私は、この「日曜日の夜中」が好きだ♪ この、異様に静かで、そのせいか、空気も澄んでいるように思える。この時間だけは、天の川が、見られるんじゃないか…??  

な~んて、おもったり。。


 ラジオの放送局も、1時には終わるとこは多い。こんな時間には、皮肉にも、勉強意欲や、創造力が異様に冴えるのだ。こんな時間は、私にとっては、とても貴重な時間だと思える。


 ぁ、そうそう、ラジオのことが出たので、一応、言っとくと、私にとっての、メインメディアは、すっかりテレビではなくラジオになった。「テレビは終わった」とか「テレビはオワコン」などと言われて久しいが、(個人的には、そこまでは思わないが)確かにテレビを見る機会が減った。

 アニメは、「ぼくらはみんな河合荘」と「それでも世界は美しい」を録画して見ているぐらい。バラエティは、思い出したら、「怒り新党」とか「5時に夢中」「アウトデラックス」を見るぐらい。他は基本、NHK。

  それでも、2004年~2008年のテレビ、というより、バラエティ番組は、もっと酷かったと思う。「クイズ番組」がたまたまヒットしたと思えば、どこのチャンネルも無個性な、一問一答形式の、在り来たりな問題のクイズ番組が乱立した時期があった。一発芸人が乱立し、今以上に、芸人を出しておけばいいという風潮もキツかったような気がする。それも、同じような番組ばかり。

 今は、苦しいのは事実だけど(ほら、いいともの後枠みたいなの)、あの頃よりは、少しずつ、試行錯誤しよう、としている感じは伝わってくる。
 マツコさん、坂上忍さんとか、有吉さんがズバズバいう感じの人がウケる、てのは、みんな、ガヤついたのはちょっと疲れてて、本音とか、いってほしいからだろうか。
 ふなっしーや、池上さん、東進の林先生がメインの番組ができた時も、素直に、テレビが何かを模索しようとしていることを感じた。

 ふなっしーはそもそも、テレビ―ネット間の垣根など、色んなものを崩す位のパワーがあった。今はよくわからん。それでも安定した人気。まあ、ふなっしー語りだけでかなりの文章量は書ける気がする。

 …てか、テレビ論はメインじゃないっての。  
 ぁ、そうそう、テレビといえば、YouTubeで、よく、上岡龍太郎さんの番組を見るが、文字通り「衝撃的」。「…これが本当に、テレビなんだよな…??」みたいな。突然現れて、私の思ったことや、心のしこりを、全部吐き出してごみ箱に捨ててしまう感じ。考察も根が張ってあって(本人は詭弁というとこもあるが、それも考察あってだし)、話を聞いていて飽きない。

 引退してしまったのが非常に残念。テレビは無理にしても、ラジオか、ニコ生に顔を出してほしいものです…。

…テレビや上岡さんの話は、いい加減、この辺にしておこう。尽きないから笑






 …さて、ラジオも、多分話し出すと尽きないので、テレビや上岡さんの話を切り上げた。とは言え、ラジオの話も長々しくなるので、一旦切り上げまふ

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じゃあ、お前は、言い出しっぺのお前は、ソフィミューできているのかと、、と問われると、それを意識して、生きていることは心がけてはいるが、、う~む、、

 というより、自分の場合は、たまたま、「内なる声」が大きく、その声は私を飲み込むほどの、巨大な叫びでもある…、、なんてことがある。それをしないと、自我を保てない、とすら言える。
この声が、自分を自分たらしめているのか、はたまたそれ以外の要素が自己なのかどうかはわからない。まぁ、全てをひっくるめて、自己なんだろうけどね…。

 さらに、「内なる声」に向き合う習慣があると、そこから見える世界に耳を傾け、それを表出する過程で、実際、それが具現化されていくのが気持ちよくて仕方がない。まぁ、「内なる声」に、耳を澄ましているだけでも、気持ちがいいものなんだけど…。


 この日本、いや、地球上で、何人が自己の感受性に向き合えてるのかも分からない。自分も向き合え切れているかは不明だし、まだまだ向き合いきれていない面もあると思う。でも向き合うことで、見えてくる世界は、格別だし、ゴールデンウィークに無理して海外や温泉にまで足を運ばずとも、トリップできる機会は増える。

 現代は、トリップをする分には、いい時代にはなったと思う。pixivとか、soundcloudとか。でも、まだ何かこう、開き切っていない感は否めない。もっと、、こう、スコォーーーーーーン、と、突き抜けてもいいかな、って。…自分が知らないだけかな…。








 ぁ、わたしがそふぃみゅ~できてるかと言われると…まぁ、ちょっとずつやってるのかな。ここ数年で、DJツールや、DTMの環境をインストールした。それをベースに、音楽と音楽をリミックスしたり、音と音を重ね合わせることで、自分の声、というのか、色、情景を表出していく…。
 
 まぁ、DJなんかだと、既成曲と既成曲の混ぜ合いなので、オリジナリティに欠ける、という人がいるかもしれないが、「ある曲」と「ある曲」を混ぜ合わせるだけで、既に独自性が生まれる。もっと言うと、ある曲の「この部分」と、ある曲の「この部分」を混ぜ合わせることで、それらの既成曲では生み出されてはいなかった色彩を表出することが可能である。それを、「グルーヴ」というのかもしれない。そして、それを「心地よい」と思っている自己がいるのなら、それこそ、内なる声が昇華されている、ということなのだろう。

 DJは、最も手軽に「そふぃみゅ~」できるツールだと思っている。ユーミンの曲と、underworldのグルーヴを掛け合わせるだけで、めぐり合える世界があるのかもしれないのだから…。

 



 別に、「才能」なんてなくてもいい、と思う。というより、自分が「これはいいな」と思えることそのものが、「才能」だと思う。その声が示す道標に足を運んでいくと、おのずと何かがみえてくる…。


 自分には才能がないから…とかいう人を見てしまうと、もったいないな~…と思ってしまう。まぁ、これは、私自身が、最悪、自分の「イイネ!」と思った感受性の体系が、誰にも受け入れられなくてもいい、自分さえ、「イイネ!」と巡り合えたなら、それでいい、と思っているからかもしれない。が、自分の人生なので、自分が自分の「イイネ!」を認めてやらないと、色んなことや、色んなものに振り回されてしまう…













 …そうなってくると、臨終近い「ぼくの、わたしの人生って、何だったんだろう…??」てことになりかねない。それで人生「イイネ!」……??

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たまたまログイン出来ちゃったため、何と、4年振りにブログを更新。誰にも気付かれることも、見られることもなく、しめやかに行われるのである。

 このブログは、いわば、期間限定のリハビリ用に使われる予定。慣れたら、またどっかに漂流する。cosmic roamerだからね♪



 …さて、4年ぶりのブログってことで、言いたいことも沢山あるのだけれど、どうしよう…??  う~む… こんな、、、、こんな、、土曜の夜中にさぁ…。


 まぁ、いいや…♪

        


















 この4年、具体的に変化したことと言えば、インスタントラーメンが生麺に急速に移項したことたと、ぽよぽよした、汚ならしいオムライスの化け物みたいのが、高い声を出して暴れまわっていること、

 そして、コーヒーや、その他、缶ジュースが、 130円で売られることがデフォルトになっていること…。

 いやはや、4年前から、急にタイムリープしてしまうと、本当に時代が廻ってしまうものなのだな…。

 さて、私はというと、時代が、5時代も6時代も廻った…ぐらい、色んな事があった。
 細かいことは割愛するが、生き方の「芯」みたいなものは、ブログを書かなくなった4年間で構築していったように思う。

 そのなかの1つの概念が、「ソフィミュー」である。


 「ソフィミュー」というのは、私がつくった造語である。これは sophisticated mutilator の略語、つまり「洗練されし切断者」なんのこっちゃ、って感じだけど、ここのmutilatorは、「骨抜きにしてしまう者」ということ。

 やはり、この4年間でも、広く、「人生」について、考えてしまったことが何度もある。




 自分が幸せに過ごすためには、善く生きるには…?? 充実した、人生とは…?? 



その1つの帰結点が「ソフィミュー」だった。この「ソフィミュー」の対象者は、誰だっていい。友達でも、彼氏彼女でも、おじいちゃん、おばあちゃん、上司でも、信者でもいい。誰かを、己の感受性を、その洗練された力で、骨抜きにしてしまうほど放出してしまう。そこを、目指すのだ。


 もっと言うと、mutilationの対象者は、自分であってもいい。むしろ、自分の方が、自分に素直でいられるし、絶えず、「洗練」を最大限に意識して、自分の感受性に向き合えるから、いいかも♪


 別に、洗練なんて、意識するものじゃないかもしれない。でも、一人ひとりが持っているはずの、幻想的な内なる世界。皆が、必ずしもそこから声を引き出しているとは限らない。
 だからこそ、まずは「意識した洗練」からはじめてみる…。どこまでやれるのか、分からないけど、とにかく、自己と向き合う…。

 まあ、簡単に言えば、どれ程自己の「内なる声」に向き合えるか、って事なのかな…。 こんな感じで一人ひとりが生きていくと、今以上に、色彩豊かな花壇のように、観念的な世界と触れ合う機会は増えていく… 


 






 そんな感じを、目指してます。

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ここ最近は、ツ一ターの方ばっかりお世話になってて、ほとんどこのブログには手を出していなかった。

俺は今、どことなく物悲しい・・・。

ジーンダイバーを思い起こし、つつ、放送当時(94年)の時間帯(晩飯時だったかな)と、ジーンダイバーを視聴しながらこの頃を積極的に思い起こしてた2008年の夏の終わり。

2008年といえば、ダイエットを完遂させ、夏以降は新路線構築のため、色々と自分なりに展開し、動き回る頃。今の路線の土台を築き上げた。
だがダイエットが終わり、サークルからも足を引いたため、じぶんなりに色々と思索する時間ができ、物思いにふけた頃でもある。ブログ数も増えてきた。だから科学に興味を持ち、考える時間も取れたからウケた、という見方もできる。その頃流行ったのがバーチャル3部作。なかでもジーンダイバーは唯一、放送してたことを覚えていたし、
(恐竜惑星は全く覚えてなかった、ファンタジーゆめが終わればすぐにチャンネルを変えるのが恒例だったし、天てれのOPが怖かったし、ナノセイバーは本編も怖かったし、当時はラップDEことわざでフィーバーしまくってたため、17時以降の番組もあんまり見なくなっていた、今思えばユーロビートブームの原点かも)
その音楽もはっきりと覚えていた。
その映像、音楽は何か爽やかでいて、子供番組とは思えないほどの哀愁を醸し出していた。・・・
まぁ、この番組や当時自体が俺にとっては哀愁なのだが、とにかく。

OPを聴けば、94年頃の、晩御飯の時間帯だった。当時、うちはきまって忍たま乱太郎のイラスト介紹が終われば晩飯だった(光GENJI自体が哀愁の塊だよな、曲を聴くだけで胸騒ぎっていうか・・・)。

あの音楽・映像には、当時の面影が詰まっていた。食器棚、花柄の皿は今も変わりはないのだが、部屋は無残にモノで散らかり、俺も帰宅時間が遅く、バラバラ。当時の面影など、ない。

戻れるもんなら戻ってみたいさ。94年、時代が本格的に変わっていく頃だが、どことなく80年代的な残滓(面影)を残し、哀愁がかった時代。バブルが崩壊し消費者目線で安っぽくなったが、95年とか97年ほどは齷齪していない。
何か、バブルと崩壊後の世界が程よく混ざり合った時期だったかもな、子供心にしてみれば・・・美化しすぎか!!?笑
だが、95年は、「何か変わったな・・・」と、子供心に思わせるものはあったな。

94年、カクレンジャーもアレも見てなかったけど、trfは知ってたし子供心に楽しかったけど、Jリーグやマジカル頭脳パワーとかはまってたけど、そしてジーンダイバーもほとんど覚えてなかったけど、当時に戻ってみたいな

94年、あと何があった?まだバンドブーム期の残党は残ってたな。ミスチル登場といわれても、まぁ今の延長上だしな。あ、accessか、いかにも当世風なユニットよねーー。

デジタル音楽と共に、3Dを駆使・・・までなら普通だが、あの独特なセンス(音楽、PV、映像、何もかも)が何とも当世風。何か天てれとかウゴルー辺りに通じるものがある。一番ぴったりなのはグリッドマンだろう笑

misty heartbreakやsweet silenceの哀愁は、まさにこの頃を象徴してるような気もする。一見、「最先端!?」と思わせて・・・みたいなとこも好き(流石に今聴いたら古臭いから。survival danceとかボイミツとかは今でも十分通じる点の違いがデカイ)。
所謂「なんちゃって最先端」だろうな。このぐらいなら、80年代後半でも可能だったと思う。
当時の南天のど飴のCMのCGみたいなイメージwグリッドマンもこれも(?)、もっと予算あればさらにすごいものになっていたのか、まぁ十分これらもすごいけど。

ちなみに、今当時の南天のど飴のCMを見てきたが、1986年からやってるらしい。だからaccess的なことは、当時でも十分可能だろうな。

さて脱線wwしてるようでしていない。

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